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旧岩崎邸案内/茅町コンドル会

summary

    茅町 岩崎久彌邸  案内


 三菱の創始者 岩崎彌太郎の嫡男 岩崎久彌 は今から百十余年前 明治29年に
 上野茅町に岩崎久彌邸を新築した 洋館の設計者は ジョサイア・コンドル   この建物はコンドル作品の華と讃えられている

     同時に完成した和館は大河喜十郎の手になる自由闊達な会心作であり 
        この洋館と和館は明治を代表する名建築で共に重要文化財である
                一世紀以上経た現在も往時の優雅な姿を伝えている

       岩崎久彌は慶應元年(1865)生まれ 慶応生まれには 夏目漱石 幸田露伴 正岡子規がいる
       司馬遼太郎「坂の上の雲」で描かれた 秋山真之/慶應4年生まれとは同世代で 信濃丸の
       「敵艦見ゆ」 日本海海戦 大勝利を本邸で固唾をのんで見守っていた
       後年 東郷平八郎元帥以下を六義園に招き大園遊会を催すこととなる

                       岩崎彌太郎はこの場所 岩崎茅町本邸で明治18年に亡くなっている
                       この西洋館はまだ建設されていない 亡くなったのはこの地所の旧所
                       有者榊原藩の旧宅であった 享年50歳 壮烈な死である 死因は胃癌
               
             岩崎久彌は明治・大正・昭和三代五十有余年 生涯の大半を本邸で過ごした
            没年は1955年(昭和30年) 享年90歳 染井の岩崎家墓地に葬られている
                                 本年は建物完成後116年 久彌氏没後57年目にあたる



   ◇ 明治29年 /1896年 / 岩崎邸竣工年の出来事                    岩崎 彌之助 45歳
                                                                岩崎久彌 31歳
                                                                    寧子 23歳
                                                              岩崎小彌太17歳 
                                                                澤田美喜-5歳
 

4月 第一回近代オリンピック アテネ

  明治29年4月
 日本銀行本館完成

 11月 岩崎彌之助
   日銀総裁就任
  


 

6月15日 三陸大津波 死者2万人


         11月23日 樋口一葉 死す
                 享年24歳6ケ月

 明治28年1月から「たけくらべ」を、以降に「ゆく雲」「にごりえ」「十三夜」などを発表し、「大つごもり」から「裏紫」にかけての期間は「奇跡の14ヶ月」と呼ばれている














      町の風景 明治時代 中期 岩崎邸洋館はこの時期から存在
      していた 自動車はほとんど見えない 電柱がやっと立ち
      始めている



明治29年当時
福沢諭吉 61歳 岩崎彌太郎と同年生まれ

      
夏目漱石 29歳
6月第五高等学校の教授
7月中根鏡子と結婚

         正岡子規 28歳
      喀血始まる 東京根岸
       子規庵で句会
               

                              秋山真之 28歳
                    海軍大尉 報知艦「八重山」分隊長


                                                                                    
# by josaihconder | 2009-02-08 22:34 | Comments(0)

Topics ・Concert

     ◇ Topics ・Concert



          ◇ 和館耐震工事

                六月下旬まで和館耐震補強工事のため 和館見学中止 いたします。




           ◆ 『茅町コンドル会スペシャル講演会』

                                      写真 左より 前波くめ コンドル と ヘレン

                                日 程: 平成24年6月16日(土)
                                            6月30日(土)
                                            7月 7日(土)
                                時 間: 各日13時から40分程度
                                場 所: 旧岩崎邸庭園洋館1階食堂 

                演 題: 『近代建築の父 J・コンドルと娘ヘレン』   






 
            ◇ Mini-Concert
                        土曜日 午後一時と三時 旧岩崎邸食堂                 

                       mini-concert は9月迄 中断します



                       
# by josaihconder | 2008-09-10 11:03 | Comments(0)

岩崎久彌邸ガイド


              ◇ Guide Tour 
                            茅町コンドル会 

                    旧岩崎邸庭園では重要文化財の洋館と和館を中心に
                    ボランティアによるガイドツアーが行われています

                                 ガイドは 毎日 行はれています


 




































       定時ガイド

          毎日 午前11時 午後2時の2回
          案内時間は約一時間程度で予約は不要です
          御希望の方は洋館玄関横にお集まり下さい          
          案内場所は洋館と和館で内部もご案内いたします
          撞球室は外部から ご覧頂きます

         英語ガイド 毎月の第一土曜 午後2時 に行います

                                           和館ガイドは 工事のため当分中止されています  

         団体ガイド (10人以上) の場合は御希望の日のガイドが可能です 混雑等の理由で不可能な場合もありますが 
            御希望の期日時間人数等を 旧岩崎邸管理所(03-3823-8340) に2週間前までにご相談下さい

  
               ガイド費用は個人・団体共無料です

           

                        コンドル会に関する御要望 御質問は下欄 Comments
                          又はkyuiwasaki@gmail.com にお寄せ下さい

# by josaihconder | 2008-06-01 19:30 | Comments(0)

岩崎久彌邸 案内

 
            ◇ 岩崎久彌邸

                     目 次

                         概 要

                       ◇ 岩崎邸  洋館一階

                       ◇ 岩崎邸  洋館二階

                       ◇ 撞球室 ・庭園

                       ◇ 岩崎邸  和館

                       ◇ 岩崎久彌・ジョサイア コンドル  年表

                       ◇ 記録

                                      
  旧岩崎邸案内図 



      所在地
       東京都台東区池之端 1-3-45

      旧岩崎邸庭園管理所
            Tel 03-3823-8340





 ◇ 岩崎邸配置図 平面図  昭和24年以前 久彌氏居住当時 着色部分は現存する


    東側よりの和館取壊し前 岩崎邸全景
     手前が洋館 後ろに和館が広がっていた



       ◇岩崎久彌邸 概要

              1.北立面
                                                    銅版画 石村正臣
          概 要
                   本茅町邸は西暦1896年(明治29年)竣工 重要文化財
                   所有者 岩崎久彌は三菱創始者 岩崎彌太郎の嫡男
                   洋館及び撞球室 設計は英国人 Josiah Conder である


                洋館/木造2階建地下1階煉瓦造 建坪160坪延坪500坪 塔高20m 屋根16m 東西40m
                屋根天然スレート葺き ルネッサンス様式が中心だが多くの建築様式が折衷されている
                コンドル建築の白眉 洋館塔部分はフィレンツェのマリア教会の尖頭アーチを起想し若々しく自由
                なイタリアの香り壁の木板に彫刻 若き当主に相応しく端正で華麗この洋館と撞球室は迎賓館
                として用いられ 岩崎家の日常は洋館奥の和館にて営まれていた


◇ 歴 史

 本土地は江戸時代榊原家の中屋敷であった場所である
 榊原家の中興の祖 榊原康政は天文17年(1548年)三河国上野郷に生まれる康政
 は幼くして松平元康(後の家康)に見出され小姓となる若くして 家康から武功を賞さ
 れて「康」の字を与えられた以後も家康の側近にあって旗本部隊の将として活躍した

 徳川四天王とは家康の側近に仕えて江戸幕府の創業に功績を立てた4人の武将を
 顕彰して呼んだもので酒井忠次と比較的若い本多忠勝・榊原康政・井伊直政の3人
 である 家康が関東に移封されると上野国館林城(群馬県館林市)に入り忠勝と並ん
 で家臣中第2位の10万石を与えられる 慶長11年(1606年)に館林にて死去
 享年59歳

          以後何度かの国換えの後江戸中期の榊原家の当主・榊原政岑に不行跡があり倹約令
          を出していた将軍・徳川吉宗の逆鱗に触れ 榊原家の危機となった時に 家康が康政に
          下していた神誓証文を幕府に差し出し嘆願したところ表高は同じ15万石で越後高田藩
          に懲罰的移封という軽い処分で済んだという
          徳川四天王の酒井 本多 井伊に比して徳川時代の功績は少ないが創成期では家康の
          信認も厚く 家臣屈指の領地屋敷が与えらていたことになる
          この中屋敷は江戸時代末榊原家を離れ 明治維新前後所有者が転々とする  所有者
          の中に薩摩藩士桐野利秋 旧舞鶴藩知事・牧野弼成等の名がある

 
                 現土地は明治11年(1878) 岩崎彌太郎 により購入され岩崎本邸
                 として使用されていた敷地面積は彌太郎購入時約15000坪 現在の
                 敷地は約5000坪で 久彌居住時の昭和24年以前と比べて1/3に成
                 っている この土地は江戸時代は 越後高田藩の城主榊原家の中屋
                 敷で彌太郎は榊原の屋敷を修理・改修して使っていたが 明治18年
                 この茅町で逝去した墓は染井にある以後は嫡男 岩崎久彌が相続した


             
◇ 岩崎久彌

  慶応元年 岩崎彌太郎の長男として高知県にて出生  慶応幼稚舎等を経て 明治19年米国
  ペンシルベニア大学留学 同26年28才で三菱合資会社社長に就任 結婚を契機に本建物を新築
  した 洋館はジョサイア・コンドルの設計 和館は明治の名棟梁 大河喜十郎の代表作である
  本建物は明治初期の和洋併置式住宅の典型例で以後の日本住宅史に多大の影響を与えた
  久彌氏はこの岩崎久彌邸で 日露戦争以前の明治中葉から 第二次世界大戦の戦後 昭和
          24年(1949)までの半世紀有余を過ごした   昭和30年十二月 千葉県富里にて没


                                               ◇ Josiah Conder
               英國人 1852年ロンドン生まれ 明治10年(1877)工部大学校(東大)教授
               黎明期の日本の洋風建築を主導した主要作品上野博物館 鹿鳴館 岩崎久彌
               邸 三井倶楽部 古河虎之助邸等1920年没 日本の近代建築の父と讃えら
               れている


                      明治29年(1896)の本茅町岩崎邸竣工時 岩崎久彌30歳 コンドルは43歳である




               3.南立面
    
                                           所在地  東京都台東区池之端 1-3-45  
                                           旧岩崎邸庭園管理所 tel 03-3823-8340

                  この庭園案内に関する御意見、ご助言は本ブログcomments
                       又はkyuiwasaki@gmail.com にお寄せ下さい


                       *****************************

                      監修:櫻町輝夫 作成:戸村英正 / 茅町コンドル会


 
                 関連blog-清澄庭園案内
                    WEB検索 google " 清澄ガイド " http://kiyosumig.exblog.jp/
                                  清澄庭園は岩崎彌太郎 彌之助 久彌 によって創られました









# by josaihconder | 2008-06-01 19:26 | Comments(0)

岩崎邸洋館 一階

  ◇岩崎邸洋館                                              撮影 桜町 輝夫



  ◇洋館 一階  洋館全体が迎賓設備で一階はホール 食堂 婦人客室 応接室の他 久彌氏の書斎があった

                1. 北面三連窓
                       北面デザインの中心 大きなメダリオンとゴシック風の窓 内側は
                       華麗な階段がある メダリオンは明治初期故か空白となっている

   2. 玄 関

                       

      3.
ステンドグラス
        薄緑の半円と側面ステンドグラスはコンドル
        のデザイン 半円のステンドグラスに黄金色
        の銀杏が映っている
                          

玄関にある 創建時の灯り                   
1世紀以前の明治の薫り




 

                                        
           玄関のヴィクトリアン タイル
      意匠はイスラム風 英国ミントン社製
             


左は現在の玄関正面の壁
仮説によれば創建時にはここに窓があり和館東側の枯山水が見えた

 
          
4. 仮想/玄関の窓よりの眺め
         中央春日灯篭は来歴は定かではないが名品 右奥に岩崎邸の
         名物大きな棗の手水鉢 続いて大広間が見える




 
                       

                   5. ホール、階段
                               ホール 階段は建築の見せ場
                     四本柱 階段 暖炉とコンドルの精華が見られる
                     右上は 一世紀を経たペンダントライト

         繊細優美な階段脇4本柱 豪快な暖炉と円形アーチで飾られた建物の中心となるホールで
         賓客のラウンジ 空中に浮かんだ様な三っ折れ階段はアカンサスの模様が彫刻され流れ
         るような空間が構成されている螺旋階段で地下へ更に地下道で撞球室へつながっている

 
 6.
暖 炉 
 暖炉は全部で15ある 木製の一つを除いて他は全部 イタリア産大
 理石で出来ているデザインも豊富でルネッサンス・バロックと幅広
 い


 

            ラジエター
              明治の洋館の冬は寒さが厳しい
              温水暖房器が米国から輸入され
              ている目立った位置に置かれた
              のは珍しかった所為と思われる
              当時は金色に塗られていた
              天使の像が側面にある 






                        7.
書 斎



      
  本邸随一の華麗な天井










、、、、、久彌氏と小彌太氏







 久彌氏はこの書斎が好きで 茅町通算50年間の多くの
 時間をここでの読書で過ごした 久彌時代の本棚が熱海
 別邸で保存され現在は当所に移されている
 岩崎小彌太氏/第四代三菱社長が訪ねると この部屋で
 夜遅くまで話しあっていた   二人は従弟ながら兄弟の
 様に仲が良かった


 天井には豪華なアカンサスの彫刻があり 菱形は三菱の
 マークを連想させる    写真にある机は後年のもので
 久彌氏の使った物ではない




     8.
サンルーム
         岩崎久彌氏とその家族 撮影大正11年5月 前列中央 久彌氏56歳 左に彌太郎夫人 喜勢
         左端久彌夫人 寧子(旧姓 保科)48歳 右端二女(甘露寺)澄子 二男隆彌-三菱製紙
         長男 彦彌太-三菱合資会社 長女(澤田)美喜 エリザベスサンダ-スホーム創立者 三男恒彌-東京海上
         三女(福沢)綾子 美喜の結婚記念に撮られた写真である
        大正11年7月 澤田美喜の結婚披露宴が岩崎深川別邸で行われた 久彌 寧子夫人他当時の三菱首脳が
        映っている 美喜の左は喜勢 喜勢は最愛の美喜の結婚式に出席できたが翌年関東大震災の年没する
        背景のコンドル設計の壮麗な岩崎深川別邸は関東大震災で焼失する

          
                       9.
床寄木細工

           各室床の周囲が寄木で飾られている
           多数の銘木により部屋毎に変えられ
           た様々なデザインが見られる








        10.
婦人客室 


 天井は絹の刺繍、アカンサスと花の模様 鳥の模様が織り込まれている  部屋の飾りにはイスラム.日本 ヨーロッパが混在している 
  

オールドバカラ
  昭和24年まで 岩崎家で使用していたガラス器 総てオールド
  バカラ 特注品が含まれこれには松葉菊他日本の模様がある
  岩崎寛彌氏の寄贈による






      11.
食 堂   広さ30畳 幾多の名士が訪れた他 久彌氏は子弟にテーブルマナーを教えた
                  この岩崎邸の貴賓を集めた食堂に 今 土曜日クラッシクの演奏が流れる



    岩崎寛彌氏    岩崎久彌氏の嫡孫
     本邸公開の貢献者の一人 岩崎邸
     コンサートの発案者で生前はしばし
     ばコンサートに訪れた写真はコンサ
     ートでのスナップ    2008年没








食堂 給仕扉
        配膳室と食堂の間に有る扉上
  半分と下半分が別々に開き更に上半分
  の部分に観音開きの扉が付いている食
  堂への台所の影響を少なくするために
  開口部を制限している

          12.
ヴィクトリアン・タイル

         美しい象嵌タイルが一階バルコ
         ニーにある ミントン社製のヴィク
         トリアンタイルで目地なしのため
         制作に無駄が多く 周囲の塀の
         内側から破片が発見されている











                
# by josaihconder | 2008-06-01 19:23 | Comments(0)

岩崎邸洋館 二階

◇岩崎邸洋館 二階  洋館二階は集会室 婦人客室 寝室など多目的に使用されていた


  1.二階への階段
      8段+12段+8段 方向が3回変わる三折れ階段
      階段途中で上下に繋がる四本柱と華麗な中間部
      の飾りが見られる


      中央階段踊り場から見られる二階ホールの手摺り






  


                               2. 甲冑
                     現在展示されていません
               
      久彌氏が寄贈を受けたヘンリー八世のミニチュア甲冑像
           実際の甲冑は現存しロンドン塔で展示されている




3. 二階客室

澤田美喜さん

久彌氏の長女美喜は外交官夫人
で外国暮らしが長い 日本帰国時
住居部分の和館より好んで この
二階部分寝室を使用した
昭和22年大磯に エリザベス・サ
ンダースホームを作り 混血児救
           済に後半生を費やした

                               4.金唐革紙/壁紙 

             [金唐革紙]
      上田氏の代表作”狩人”









 江戸時代 鞣し革に凹凸をつけ彩色した金唐革が ヨーロッパ
 から輸入されていた これを改良しベースに和紙を用いて
   再現したもの 手間がかかるため高価だが豪華で華麗 現在の金唐革紙は
   上田尚氏/上写真の製作による 
                                             

   
     5.
 バルコニー

 






















    柱の様式は一階トスカーナ二階イオニアで古典に沿って作られている昭和中期まで眺望に優れ富士山 房総の山々が見えた 天井照明は創建当時の物がそのまま残されている 床材はチーク 壁面に呼鈴があり配膳室へ繋がっていた













                              [イスラム風模様の手摺り]
                      戦時中の 金属供出で撤去されていたが
                    2000年初頭に古い写真を基に復元された

        


                   6.トイレット
       客用のトイレット 既に水洗の設備が
       ある陶器類はイギリスドルトン社製
 


 7.家 具
  現在岩崎時代の家具は殆ど残っていないがこの数年
  原徳三氏のご尽力で幾つかが復旧した
  これは岩崎家の家具であるが何に使ったか判然とし
  ていない


# by josaihconder | 2008-06-01 19:22 | Comments(0)

撞球室 庭 園

◇ 撞球室 庭 園


1.  撞球室

   撞球室と洋館はトンネルで結ばれている
   明治時代 岩崎邸来訪者により華やかに興じられたビリヤード場
   である
   金唐革紙の内装は僅かに過去の豪壮を偲ばせるが 華麗なビリ
   ヤード台と照明は失われている
   大正以後は岩崎久彌氏の書架が並んでいた との証言が残され
   ている  
                        洋館と撞球室の間のトンネル

 

                     撞球室南側バルコニー


屋根トラスに コンドルのデザインが見られる










 岩崎邸建設時 ヨーロッパではアール・ヌーボウの全盛期である
 コンドルは古典につながる様式主義を 一生貫いたが このモダ
 ンな撞球室暖炉の上部装飾にアール・ヌーボウ風模様が見ら
 れる



           
                               2. 袖 塀
    入り口の長いスロープを登ると左に塀がある中央メダリオンの
    紋章は岩崎家の家紋 重ね三階菱 現在の三菱マークの起源
    である


銀杏/樹齢400年                撮影 平野祥子






  3.  庭 園
     岩崎邸園の代表的樹木 ヒマラヤスギ 
                     

 
関東蒲公英  
撮影 木村 隆 


     
広場東に 檜 ヒマラヤスギ 南に銀杏と染井吉野 大島桜がある全体にモッコクが多いが 和館東側には 一世紀以上経った岩崎久彌氏遺愛のモッコクがある

   4.  雪見灯籠
     東側森の中 芝庭沿いに巨大な雪見灯籠がある




  5.  榊原時代の庭園

          「香月亭遺蹟碑記」





古渡り朝鮮灯籠





 


      

   多重塔







 庭園南側にある 榊原時代
 と昭和44年庭園縮小以前
 の岩崎家の灯籠 
# by josaihconder | 2008-06-01 19:21 | Comments(0)

岩崎邸 和 館

  岩崎邸  和 館
      旧和館は550坪現100坪設計-三菱社/岡本春道 棟梁/大河喜十郎 洋館と同じ明治29年/1896
      に作られた明治期 和館の傑作である しかし旧和館は現存部を残し 昭和44-45年に取り壊された
      現存部は重厚な書院造の三室で 主に岩崎本家の冠婚葬祭に用いられた

               
1. 入 口
                    和館客間入口                     外観











          ステンドグラス 宇野沢辰雄
             (慶応2年-明治45年)
                                                            
               
         2.坪庭と板絵
            坪庭 巨大な靴脱ぎ石が見られる



 
   
                   板 絵
 僅かに現存する
 ”木菟”の板絵




      
                長押にある菱形の模様-唐松菱         
                                             3. 入り側              
                                   美しい柾目の鏡天井 尾州檜
                                   最も長いものは16mある

4.棗型手水鉢
 岩崎ならでの巨大な手水鉢
 同じ物が清澄庭園にある

 


         5.袴脱ぎの間
 和館東側に和風小庭園と瀟洒な
 二畳の茶室風小部屋がある内部
 は袴脱ぎの間のしつらえで繊細
 な細工が天井建具に施されてい
                                る実用的には厠の前室で庭より
                                の眺めを重視した構えとなってい
                                る



                 大広間よりの眺め

   橋本雅邦-明治を代表する日本画家
           (天保6年-明治41年)


                   6. 大広間
                      床の間の絵/橋本雅邦 富士と波 襖絵/四季の景色 大広間の襖には櫻の絵が描かれている
                      狩野派の作で往年の豪華さが偲ばれるが保存が悪く鮮明ではない
                      床柱は四方糸柾 天井は猿頬面の棹縁で天井板は厚さ一寸 杉柾目 床柱も天井も超逸品



























三の間 独立して使用が出来る
 ように押し板が置かれている















         7. 東濡れ縁
            濡れ縁は庇が3mもあり広々としている 床材は栗 此処に座し広大な池(芝庭)の
            彼岸の雪見灯籠を見付けてください


# by josaihconder | 2008-06-01 19:20 | Comments(0)

岩崎久彌 と コンドル

 年 表

    ☐ 岩崎久彌 1865-1955
                            
                                          岩崎彌太郎と妻喜勢


  1865/慶元 慶応元年10月14日
          岩崎彌太郎 喜勢夫妻の長男として
          高知県 安芸郡井ノ口村にて出生
  1875/M08 慶応義塾幼稚舎入学
          後に 三菱商業学校へ転学
  1878/M11 父岩崎彌太郎 茅町土地購入岩崎          茅町本邸とする  
  1885/M18 父岩崎彌太郎 茅町岩崎本邸にて
          逝去 彌太郎50才
  1886/M19 米国留学 ペンシルベニア大学入学
  1892/M25 同校卒業 バチュラー オブ サイエンス
                       1893/M26 三菱合資会社社長 28才
         1894/M28 日清戦争
寧子夫人 
    1894/M27 結婚/ 旧姓-保科寧子
         1896/ M29 茅町岩崎久彌邸 竣工
         1904/ M37 日露戦争
         1908/ M41 岩崎彌之助/57才没
         1914/ T03 第一次世界大戦
         1916/ T05 社長退任/50才
                 岩崎小彌太/37 四代社長 
         1923/ T12 関東大震災
           1941/ S16 第二次世界大戦        
           1944/ S19 妻 寧子没  1945/ S20 岩崎小彌太没
           1945/ S20 日本敗戦 財閥解体
           1949/ S24 千葉県成田 末廣牧場別邸に隠棲
           1955/ S30 昭和30年12月2日 末廣牧場にて逝去 享年90才
                死因は不整脈と胃潰瘍 妻寧子とともに染井の岩崎家墓地に眠る


      終 焉  久彌氏は千葉県富里市 末廣牧場で終焉を迎える 写真上は最後の写真 下は岩崎末廣別邸


「岩崎久彌傳」 
  最後の瞬間は近づいた。十二月一日午後九時久彌の脈が止まった。併し注射を打つと再び意識を回復した。久彌は時折子女たちに話しかけた。意識がはっきりしていることは誰にも判ったが、言葉は聴き取れなかった。






 庭の木の葉の落ちる音さえも聴きとれるような、静寂な息詰まる数時間が過ぎた。遠い空に木枯らしの渡る夜であった。夜半一時十五分、久彌の呼吸が止まった。苦痛はなく眠れるような如き大往生であった

           昭和30年/1955 12月2日 逝去 享年90才



 ☐ 岩崎久彌 家系図












  岩崎美和  文化11年/1814 土佐國
   生まれ 彌太郎 彌之助の母親 二人
   を貧苦の中で成功させ 生涯を通じて
   精神的支柱であり続けた
   「富貴になっつたと雖 貧しき時の心
   を忘るべからず」
   明治33年/1900 大磯 陽和洞で逝去
   翌1901年久彌長女美喜誕生 美和の
   生まれ変わりと言われた








 ☐ Josiah Conder 1852-1920


        1852年    9月28日ロンドン生-ロンドン大サウスケンジントン美術学校
                - ウィリアム バージェスに師事 画家ロンスダールによりステンドグラスを学ぶ
        1876年    ソーン賞 (イギリス王立建築家協会新人賞)受賞
        1877年- 明治10年
             1月末 来日/ 24才 工部大学校(東大)教授/工部省顧問
             工部大学校造家学科初代教授 として近代日本建築の基礎を築いた
             明治初期の皇族政府の主要建築設計に参画し 黎明期の洋風建築の
             中核を務めた 近代日本建築の父と讃えられる
        工部大学校出身者/第一期生
           辰野金吾-日本銀行 東京駅 片山東熊-赤坂離宮 曽祢達蔵-慶大図書館
        日本文化紹介
           日本画/河鍋暁斎-暁英/日本庭園 生花 歌舞伎 日本舞踊

 
 
  主要 作品
    1期-公共建物  /*上野博物館 *鹿鳴館 *有栖川宮邸 *現存せず
    2期-大規模構造/*岩崎深川別邸 ニコライ堂 *三菱1号館
            岩崎久彌茅町邸
    3期-邸宅    /岩崎彌之助高輪邸-開東閣 彌之助家家廟
            諸戸清六邸 三井倶楽部 島津忠重邸 古河虎之助邸
   家族・自邸
       夫人/前波くめ 長女/ヘレン・アイコ

  

  コンドル自邸/東京 麻布三河台町/1904-完成

                 1914   T3 62   工学博士
                   1920   T9 67   日本建築学会より表彰
                        大正9年6月10日 妻くめ/63 逝去
                        大正9年6月21日 麻布自邸にて
                            脳軟化症で逝去 享年67才
                       芝 聖アントニウス大聖堂で告別式
                       護国寺墓地に埋葬

                             最晩年のジョサイア・コンドル
                                  白瀧幾之助氏作画




                              コンドル現存作品 

震災前 ニコライ堂  1891/明治24年
                          岩崎彌之助高輪別邸 1908/明治41年

  岩崎久彌茅町本邸 1896/明治29年




  岩崎彌之助家廟 1910/明治43年

                                   諸戸清六邸 1913/大正2年                             
  三井倶楽部 1913/大正2年 





  島津忠重邸 1915/大正4年  

 古河虎之助邸 1917/大正6年      ニコライ堂        東京・神田駿河台
 岩崎久彌茅町本邸   東京・本郷茅町
 岩崎彌之助高輪別邸 東京・芝高輪南町
 岩崎彌之助家廟    東京・世田谷 岡本
 諸戸清六邸       桑名・大字桑名
 三井倶楽部       東京・三田綱町
 島津忠重邸       東京・大崎袖が崎
 古河虎之助邸      東京・滝ノ川西ヶ原




      ヘレンのこと ジョサイアの死


  コンドル年譜によれば ヘレンの出生は明治13年であるが 別説によれば コンドルの一人娘ヘレン/はる は明治16年(1883) 8月5日生まれである  ヘレンはコンドルの妻くめとの間の子ではない ヘレンはコンドルが花柳界の女性に生ませた子で出生後すぐ里子に出されていたと言う ヘレンの実母は不明である
明治26年コンドルと くめ の結婚時ヘレン13歳 同年に当時虎ノ門にあった東京女学館へ入学させている 女学館は名士貴顕の子女が通っていた女学校である
         女学館卒業後コンドルは明治34年(1901) ヘレンを連れて英国に
         帰国しヘレンをブリュッセルのフィニッシング・スクールに留学させた
          ヘレンは四年の留学を終えて明治38年3月に帰って来るが その
          帰りの船の中で ウイリアム・レナート・グルット W.L.Grut に見初
          められた 翌明治39年 レナートと結婚する
         
 レナートの生家グルット家は デンマーク屈指の名門ハンセン家直系の家柄だった
 このグルッドの一門は政財界だけでなくデンマークの各界に綺羅星の如く大物を輩出していた、大学教授、公使、閣僚、実業家、建築家、軍人作家等と多種多様だった

  ヘレンは不幸ともいえる出生でありながら 日本有数の女学校に入り欧州留学後得たものは 三国一どころかヨーロッパ屈指の名門に名を連ねることだった

下写真
コンドル邸での結婚披露宴 中央ヘレン夫妻 左端コンドルとくめ (1906 明治39年)






  大正9年(1920) 5月意外にもコンドルの看病に疲れた妻くめが先に死去した コンドルは後を追うように11日後 6月21日麻布三河台町の自邸で世を去った 67歳 死因は脳軟化症である
  コンドル死後の処理は当時夫レナートの任地バンコクから駆けつけたヘレンが執り行った   コンドルが収集していた暁斎を中心とする美術品は総
てコペンハーゲンに送られた 




         葬儀後コンドルと くめは護国寺の墓地に埋葬された ヘレンはコンドル死去の
         処理を終え 大正9年の暮れバンコクに帰った
         昭和49年(1974)1月ヘレンはコペンハーゲンで没した 享年90歳である

         コンドル没後50年以上に亘って コンドルが愛し生涯住み続け 自らも故郷で
         ある日本にヘレンは遂に一度も帰ることはなかった

# by josaihconder | 2008-06-01 16:18 | Comments(0)

記 録

 
   □ 末廣農場 
                                岩崎久彌氏の最後の写真 89歳 右 橘常喜氏  撮影昭和30年7月26日



 □ おかめ     明治9年 岩崎彌太郎は三菱社店頭に "おかめ" を掲げ 商家の心得とした 製作は江戸末期、
                作者 出所とも不明である 2010年9月 丸ビルにて展示


         明治初年の岩崎彌太郎






  □ 大和美人図

        河鍋暁斎作 「大和美人図屏風」(部分)
        暁斎よりコンドルに寄贈された コンドル
        没後 コペンハーゲンに送られ 娘ヘレン
        死後行方不明となったが 2000年クリス
        ティズ・オークションに登場 現在日本人
        個人蔵 京都国立博物館に預託されて
        いる



河鍋暁斎   天保3年(1831) 下総国古河の
まれ歌川国芳に入門 狩野派の流れを受けているが他の流派・画法も貪欲に取り入れ自らを「画鬼」とも号している
その筆力・写生力は群を抜いており 海外でも高く評価されている
コンドルに日本画を教え
      ともに旅行するなど互いに親密な関係にあった
 
岡倉天心 フェノロサに東京美術学校の教授を依頼されたが  病により果たせずに 明治22年(1889)逝去 胃癌 59歳

コンドルは1911年「河鍋暁斎・本画と画稿」(Painting and Studies by Kawanabe
             Kyosai) を上梓した 




 □ 三菱一号館美術館  2009年 明治27年(1894)完成の三菱一号館が丸の内のほぼ同じ場所に復元さ
                            れた 三菱が原にコンドルが初めて作った 近代的なビルで久彌社長の三菱合資
                            会社が入居していた  久彌は茅町からここまで馬車で通っていた                       
                                                                撮影 桜町輝夫

  
  □ 聴禽荘 小岩井農場
       岩崎久彌氏は小岩井農場を愛し生涯にわたって小岩井での滞在を楽しみとしていた
       滞在中に使用した別邸 "聴禽荘" が現存している                 撮影 桜町輝夫 4 june 2009


  □ 三養荘  伊豆長岡
       三養荘は昭和4年、岩崎久彌氏の別邸として、京都の庭師小川治兵衛の手による壮大な日本庭園の中に、
       数寄屋造りの和風建築が建設された 現在は西武グループが所有している







 ☐ George Ernest Morison
                           1862-1920

   イギリスのジャーナリスト オーストラリア生まれ
   1895年にロンドン・タイムズ入社 1897年より
   北京特派員  1911年中華民国総統府顧問在任中蒐集したモリソン文庫/文献2万4,000冊は
   1917年/大正6年 岩崎久彌に譲渡されこれが東洋文庫開設の端緒となった

           
アヘン戦争図









                                
.                          東洋文庫ミュージアム open
                                   撮影 石村正臣   



  ☐ キャノン機関  the Canon Unit / 1949-1952


 太平洋戦争終戦後キャノン少佐(Jack Y. Canon)はGHQの情報部門を
 統括するG2に情報将校として参加した。その有能さを評価したG2トップの
 チャールズ・ウィロビー(少将)が、占領政策を行う上での情報収集のため、
 1949年(昭和24年)にキャノンを長とする組織を密かに作らせた。本郷の
 旧岩崎邸に本部を構えたキャノンは26人のメンバーを組織した。 
 他にも多数の工作員を抱え多くの日本人工作員組織も傘下においていた。
 当時すでに、アメリカとソ連との対立が顕在化している状況で、朝鮮半島
 での緊張も高まっており、主に北朝鮮情報の収集やソ連のスパイ摘発など
 に当たっていたという。その後G2はキャノン機関を日本の共産主義勢力の
    弱体化にも利用した。1951年(昭和26年)キャノン機関は、作家・鹿地亘を長期間にわたり拉致監禁して アメリカの
    スパイになることを要求した鹿地事件を起こす。翌1952年に鹿地が解放され、事件が発覚したが、この時にはすでに
    キャノンは解任され帰国していた。

    鹿地事件の失敗でキャノン機関は消滅しキャノンは帰国してCIA入りするがまもなく憲兵学校の教官となり諜報活動
    から身を引いた。 1981年、テキサス州の自宅ガレージで胸に銃弾を2発撃ち込まれ死んでいるのが見つかる。自殺
    か他殺かは不明。享年66歳。



      ☐ 司法研修所  湯島設置期間/ 1971-1994

             司法研修所(しほうけんしゅうじょ)は 日本の最高裁判所の設置する 研修機関の1つで
             裁判官の研究・修養 司法修習生の修習に関する事務を取り扱う機関である


           沿 革
            1939年(s14) 司法研究所を司法省内に設置
            1946年(s21) 司法研究所を廃し司法研修所を設置
            1947年(s22) 司法研修所を二分し司法省関係を司法省研修所
                      裁判所関係を最高裁判所の施設として東京都
                      港区芝高輪南町の司法研修所に仮設
            1948年(s23) 東京都千代田区紀尾井町3番地に移転
            1971年(昭和46年) 4月 東京都文京区湯島に移転
                        岩崎邸は昭和46年から23年間
                        司法研修所として使用されていた

            1994年(平成6年)4月- 埼玉県和光市南二丁目に移転

                            岩崎邸に残された司法研修所時代の机


# by josaihconder | 2008-06-01 16:16 | Comments(0)

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