旧岩崎邸案内/茅町コンドル会

岩崎久彌 と コンドル

 年 表


f0179114_15241572.jpg     ☐ 岩崎久彌 1865-1955

                           
       1865/慶元  慶応元年8月25日/1865-10-14
                 岩崎彌太郎 喜勢夫妻の
                 長男として
                 高知県 安芸郡井ノ口村にて出生
       1875/M08  慶応義塾幼稚舎入学 後に
                三菱商業学校へ転学
       1878/M11  父彌太郎 茅町土地購入岩崎茅町本邸
                とする  
       1885/M18  父岩崎彌太郎 茅町岩崎本邸にて
                逝去
                  彌太郎50才

       1886/M19   米国留学 ペンシルベニア大学入学
       1892/M25   同校卒業 バチュラー オブ サイエンス
       1893/M26   三菱合資会社社長 28才
                   1894/M28 日清戦争
        1894/M27  結婚/ 旧姓-保科寧子
                                              三菱史料館所蔵
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写真 /寧子夫人
 『岩﨑久彌傳』
         1896/ M29   茅町岩崎久彌邸 竣工
                        1904/ M37 日露戦争 
             1908/ M41  岩崎彌之助/57才没
                        1914/ T03 第一次世界大戦
             1916/ T05    社長退任/50才
                        岩崎小彌太/37 四代社長 
                        1923/ T12 関東大震災
                        1941/ S16 第二次世界大戦  
             1944/ S19   妻 寧子没 1945/ S20 岩崎小彌太没
                        1945/ S20 日本敗戦 財閥解体
             1949/ S24   千葉県成田 末廣牧場に隠棲
             1955/ S30  昭和30年12月2日 末廣別邸/下写真 にて逝去
                                           享年90才
                      死因は不整脈と胃潰瘍 妻寧子とともに染井の岩崎家墓地に眠る

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                             岩崎 末廣別邸 千葉県富里市



☐ 岩崎久彌 家系図

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   岩崎美和  文化11年/1814 土佐國生まれ 彌太郎
     彌之助の母親 二人を貧苦の中で成功させ 生涯を
     通じて精神的支柱であり続けた
    「富貴になっつたと雖 貧しき時の心を忘るべからず」
     明治33年/1900 大磯 陽和洞で逝去
     翌1901年久彌長女美喜誕生 美喜は美和の生まれ
     変わりと言われた








     ☐ Josiah Conder 1852-1920

f0179114_10592755.jpg  1852年    9月28日ロンドン生-ロンドン大サウスケンジントン美術学校
           - ウィリアム バージェスに師事 画家ロンスダールによりステンドグラスを学ぶ
  1876年    ソーン賞 (イギリス王立建築家協会新人賞)受賞
  1877年- 明治10年
        1月末 来日/ 24才 工部大学校(東大)教授/工部省顧問
        工部大学校造家学科初代教授 として近代日本建築の基礎を築いた
        明治初期の皇族政府の主要建築設計に参画し 黎明期の洋風建築の
        中核を務めた 近代日本建築の父と讃えられる

    工部大学校出身者/第一期生
      辰野金吾-日本銀行 東京駅 片山東熊-赤坂離宮 曽祢達蔵-慶大図書館
    日本文化紹介
        日本画/河鍋暁斎-暁英/日本庭園 生花 歌舞伎 日本舞踊


f0179114_14383264.jpg  主要 作品
    1期-公共建物  /*上野博物館 *鹿鳴館 *有栖川宮邸 *現存せず
    2期-大規模構造/*岩崎深川別邸 ニコライ堂 *三菱1号館
            岩崎久彌茅町邸
    3期-邸宅    /岩崎彌之助高輪邸-開東閣 彌之助家家廟
            諸戸清六邸 三井倶楽部 島津忠重邸
            古河虎之助邸
     家族・自邸
        夫人/前波くめ 長女/ヘレン・アイコ 
          コンドル自邸 /東京 麻布三河台町/1904-完成 

  f0179114_10555839.jpg              
   1914   T3 62   工学博士
   1920   T9 67   日本建築学会より表彰

     大正9年6月10日 妻くめ/63 逝去
     大正9年6月21日 麻布自邸にて脳軟化症で逝去 享年67才
               芝 聖アントニウス大聖堂で告別式
               護国寺墓地に埋葬



最晩年のジョサイア・コンドル
        白瀧幾之助氏作画






                    コンドル現存作品 

震災前 ニコライ堂 1891/明治24年
f0179114_11295847.jpg                岩崎彌之助高輪別邸1908/明治41年    
                                         
                                          
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    久彌茅町本邸 1896/明治29年
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岩崎彌之助廟 1910/明治4f0179114_17303135.jpg3年      
                   
  






                       諸戸清六邸
                          1913/大正3年  
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                       三井倶楽部 1913/大正2年 
f0179114_1557027.jpg  島津忠重邸 1915/大正4年 f0179114_23455210.jpg 










 古河虎之助邸 1917/大正6年   
                       
f0179114_1243565.jpg       ニコライ堂       東京・神田駿河台
       岩崎久彌茅町本邸   東京・本郷茅町
       岩崎彌之助高輪別邸  東京・芝高輪南町
       岩崎彌之助家廟    東京・世田谷 岡本
       諸戸清六邸      桑名・大字桑名
       三井倶楽部      東京・三田綱町
       島津忠重邸      東京・大崎袖が崎
       古河虎之助邸      東京・滝ノ川西ヶ原






f0179114_14474153.jpg      ヘレンのこと ジョサイアの死


 コンドル年譜によれば ヘレンの出生は明治13年であるが 別説によれば コンドルの一人娘ヘレン/はる は明治16年(1883) 8月5日生まれである  ヘレンはコンドルの妻くめとの間の子ではない ヘレンはコンドルが花柳界の女性に生ませた子で出生後すぐ里子に出されていたと言う ヘレンの実母は不明である

   明治26年コンドルと くめ の結婚時ヘレン13歳 同年に当時虎ノ門
   にあった東京女学館へ入学させている 
   女学館は名士貴顕の子女が通っていた女学校である
f0179114_14585387.jpg   女学館卒業後コンドルは明治34年(1901)
ヘレンを連れて英国に帰国しヘレンをブリュッセルの フィニッシング・スクールに留学させた
  
ヘレンは四年の留学を終えて明治38年3月に帰って来るが その帰りの船
の中で ウイリアム・レナート・グルット W.L.Grut に見初められた 
翌明治39年 レナートと結婚する

f0179114_2353910.jpgレナートの生家グルット家は デンマーク屈指の名門ハンセン家直系の家柄だった
このグルッドの一門は政財界だけでなくデンマークの各界に綺羅星の如く大物を輩出していた、大学教授、公使、閣僚、実業家、建築家、軍人作家等と多種多様だった

  ヘレンは不幸ともいえる出生でありながら 日本有数の女学校に入り欧州留学後得たものは 三国一どころかヨーロッパ屈指の名門に名を連ねることだった





下写真
コンドル邸での結婚披露宴 中央ヘレン夫妻 左端コンドルとくめ (1906 明治39年)

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  大正9年(1920) 5月意外にもコンドルの看病に疲れた妻くめが先に死去した コンドルは後を追うように11日後 6月21日麻布三河台町の自邸で世を去った 67歳 死因は脳軟化症である
 コンドル死後の処理は当時夫レナートの任地
バンコクから駆けつけたヘレンが執り行った
 コンドルが収集していた暁斎を中心とする
美術品は総てコペンハーゲンに送られた 


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葬儀後コンドルとくめは護国寺の墓地に埋葬され



     ヘレンはコンドル死去の処理を終え 大正9年の暮れバンコクに帰った
     昭和49年(1974)1月ヘレンはコペンハーゲンで没した 享年90歳である

         コンドル没後50年以上に亘って コンドルが愛し生涯住み続け 自らも故郷で
         ある日本にヘレンは遂に一度も帰ることはなかった






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by josaihconder | 2008-06-01 16:18 | Comments(0)